品質を保つ海苔の守護神
1849年の創業当時から、「海苔は山本」と謳われるほど、江戸の街で広く愛されていた山本海苔店。創業からちょうど20年後の1869年、二代目の当主・山本德治郎は、明治天皇の京都還幸の際、御所への東都土産のご下命を賜り、初めて焼海苔に味をつけることを考え「味附海苔」を創案した。これを機に山本海苔店は宮内省御用商人となった。その後、瓶詰めにして売り出したところ、いつでも手軽におかずとして食べられる味付け海苔という、当時としては革新的な商品として人気を博し、日本の食卓に大きな変革をもたらした。以来、今日まで日本を代表するトップブランドとして、業界を牽引し続けている。
山本海苔店がここまで長く愛されている理由は、革新的な商品力によるところももちろんのこと、なにより突出した強みとなっているのが、厳しい格付け基準を設けた仕分け技術だ。口どけ、味、色調、形状など、仕分けの項目は多岐にわたる。熟練の技術員による厳しいチェックをくぐり抜けた海苔は、最終的に細かい等級に仕分けされるわけだが、仕分けを任されている職人は、現在数百人を数える従業員の中でも、わずか1名しか存在しない。この仕分けにかける矜持とプライドは、山本海苔店のDNAのなかに深く組み込まれた矜持だ。厳格な分類の基準は、二代目德治郎によって世界で初めて考案されたシステムであり、三代目德治郎に至っては、海苔の仕分けにおいては日本中で右に出るものはいない“海苔の神様”と呼ばれ、「海苔の中で育ち、海苔の中で死んだ」という伝説とともに語られている。
現在も「味附海苔」はもとより、2枚の海苔の間に具材を挟んだ「おつまみ海苔」や、おやつ感覚の「海苔ちっぷす」など、新しい商品を次々と生み出している山本海苔店だが、いつの時代もその根源にあるのは、品質にかける揺るぎない自信と誇りなのだ。