「工芸」と「芸術」との遭遇「工芸」と「芸術」との遭遇

「工芸」と「芸術」との遭遇

「工芸」と「芸術」との遭遇

江戸末期の日本橋で生まれたといわれる「江戸切子」。

籠目、魚子、矢来、麻の葉……、表面に刻まれたさまざまな文様には、魔除け、厄除け、邪気払い、健康といった江戸時代の人々の願いが込められている。

戦後復興期の1946(昭和21)年に、亀戸に工房を構えた初代・熊倉茂吉氏のあとを継いだ2代目・熊倉隆一氏と現在の社長である妻・熊倉節子氏は、デザインから製造、販売まで一貫して手掛けるようになる。

「工芸」と「芸術」との遭遇
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江戸時代の伝統を引き継ぎながらも、「米つなぎ」といった独自の文様を生み出すなど、新しい感性を取り入れたものづくりを続ける華硝の江戸切子は、2008年には北海道洞爺湖サミットの贈答品にも選ばれた。そのものづくり精神は、次代の熊倉千砂都氏と熊倉隆行氏にも引き継がれ、「華硝のデザイン」の追求は日々当たり前のように行なわれている。

今年のコラボレーション作品のベースに選ばれたのは、現代では色味を再現するのが難しい「濃い赤色」が特徴的な大型の器。

舘鼻氏が器の縁に描いた「雲」の形に沿って削る作業は困難を極めたという。

しかし、そのチャレンジによって、厄除けの意味合いのある「魚子」の文様と器の輪郭線とが視覚的なコントラストを生み出すことになり、彫刻作品としての一体感をより強固なものとしている。

「工芸」と「芸術」との遭遇

「器の縁を雲の形にカットしていくのは、ヒビが入る可能性が高く難しい工程になります。これまで培ってきた感覚だけが頼りの失敗の許されない作業になりますので、2代目の指導を受けながら、3代目の隆行が鍛錬に鍛錬を重ねて挑戦しました」(取締役・熊倉千砂都氏)

一点物であり、やり直しがきかない「ガラス」という素材を相手にギリギリまで作業を続けた熊倉隆行氏は、「昨年に続き、今年も江戸東京リシンク展に向けて準備する過程では、新しい技術、おもしろいデザインに関するインスピレーションが湧いてくるという、貴重な経験をすることができました」と振り返る。

「工芸」と「芸術」との遭遇

作品が展示されたのは「八卦堂跡」。

「水戸黄門」として知られる水戸藩二代藩主・徳川光圀が、学問の神である文昌星の像を安置したとされているが、関東大震災で焼失。

この場所を選んだ理由を舘鼻氏は次のように語る。

「この器の赤色は人工的な光の中ではどうしても暗くなってしまうが、屋外に出して自然光に当てるとまったく違う表情を見せる。また、太陽の光だけでなく、周囲を樹木が取り囲んでいる八卦堂跡ならではの『木漏れ日』の中に置くことで、光と影のコントラストがより一層際立つと考えた」

その言葉通り、八卦堂跡に展示された作品は、太陽の光を一身に受け、器が置かれた石の台座には鮮やかな赤色が影となって現れている。

熊倉千砂都氏は、江戸東京きらりプロジェクトを通して、「芸術」という視点に触れることができ、発想の枠が広がったと話す。

「『工芸品は使う物』という捉え方が一般的ですが、美術品のように『鑑賞』することで、心が穏やかになったり、優しくなれるようなものにもチャレンジしていきたいと考えるようになりました」

実際、海外の方とコミュニケーションすると、「美術品」という視点で江戸切子を捉えているケースに度々遭遇するという。

2代目から3代目に引き継がれていくのは、類い稀な技術だけではなく、「伝統にとらわれることなく新しい発想を探求する」という華硝の理念そのものなのかもしれない。

「工芸」と「芸術」との遭遇

Photo by GION

Special Movie

現代美術家 舘鼻則孝 × 江戸切子 華硝


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