江戸の葱文化の担い手『葱善』
1885 年に創業した浅草の老舗葱屋、「葱善」。葱善は、現在一般的に流通している品種改良された『千住葱』と区分するため、江戸時代の頃に食されていた伝統的な葱を『江戸千住葱』と名付けた。価格帯やサイズなどお客様の要望に最適な葱を目利きして提供しており、創業当初から現在もそのスタンスは変わらない。葱の他にも、辛味大根や山葵、本しめじなどの野菜を取り扱い、百貨店や老舗すき焼き屋、蕎麦屋、焼き鳥屋などに卸している。
葱善創業前の江戸時代、創業者である田中善太郎は荒川付近にて代々農家を営む一族1人だった。その地域では栄養豊富な土壌で野菜を栽培できたことで、多くの人気を集めていた。
江戸時代、江戸千住葱は蕎麦のほか、食通の間では葱鮪鍋や軍鶏鍋などにもふんだんに使われ、江戸の人々に愛された。明治時代に入ると文明開花によって牛鍋が流行し、江戸千住葱の需要は格段に大きくなった。この頃に田中善太郎は農家から葱問屋へ転身し、葱善を創業した。
昭和中後期頃から、宅地化と品種改良の影響を受け、江戸千住葱の生産数は激減。 平成に入り、葱善4 代目田中庸浩は江戸千住葱を復活させるプロジェクトを発足させ、試行実験を繰り返し、長年の歳月をかけて安定的に江戸千住葱を栽培できる技術を確立した。この技術の継承により、貴重な江戸の食文化を守っている。
葱善ではそのほか伝統文化の継承や地域への食育活動も行なっている。毎年 2 月 には浅草神社 、11 月には明治神宮への江戸千住葱の奉納を絶やさない。目利きした江戸千住葱を台座に据えて縄で締めるという、奉納の伝統手法も受け継いでいる。 地域の学校等では、年に数回にわたって栽培や収穫までを授業として行うことで、地域の食育活動にも貢献している。
また近年では卸売事業だけでなく、生産・小売・加工場を設けた加工食品事業なども展開し、現代のニーズに応えられるよう日々進化を続ける。