江戸から続く伝統野菜の味を全国、そして世界へと発信江戸から続く伝統野菜の味を全国、そして世界へと発信

江戸から続く伝統野菜の味を全国、そして世界へと発信

「生を刻んできりっと辛い状態のまま、すき焼きや焼肉に合わせると、葱の爽やかな辛味とお肉の旨味の相乗効果で、いくらでも食べられます。また、煮たり焼いたりしてしっかり火を通すと、今度は優しい甘みが出てきて、これも箸がどんどん進む。「江戸千住葱」はまさに、主役にも名脇役にもなる逸品です」

明治18(1885)年創業の老舗葱業者「葱善」の4代目、田中庸浩さん。千住葱の美味しさの話になると止まらず、中でも自身が栽培を復活させた「江戸千住葱」への思いはひとしおだ。

「江戸千住葱」は江戸時代から蕎麦店を中心に使われていた固定種の千住葱。江戸末期から明治初期に牛鍋が流行するようになると、それ以後は鍋の脇役としても欠かせない存在になった。しかし、栽培方法が難しく、季節も限られていることなどから、品種改良が進んで大量生産可能な葱が徐々に主流に。やがて、昭和の終わり頃には「江戸千住葱」を栽培する農家は減少し、市場からも姿を消してしまった。

「いつの頃からか、“長年、多くの人たちに愛されて食べ続けられてきた味をこのまま絶やしてしまうのはもったいない”と思うようになり、もう一度、固定種の千住葱を復活させるべく、栽培に挑戦してみることにしたのです」と話す田中さん。しかし、道のりは容易ではなかった。

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「江戸千住葱」は江戸から続く固定種で栽培されている。



栽培農家の協力や指導を仰ぎながら、会社のスタッフを総動員して土を耕すことから始め、土作り、肥料の検討など試行錯誤を重ねて、満足のいくものを復活させることができるまでに10年以上の年月がかかった。

「何度も失敗して、もうやめようかと思ったこともありましたが、社員も一緒に頑張ってくれました。この味だ、と思うものが出来上がってきた時は飛び上がりたいほど嬉しかったですね。今も、江戸時代からの味と伝統を守り続けるために、日々奮闘しています」

固定種を使った「江戸千住葱」の生産量は、日本の葱全体の生産量の1パーセント未満。それでも、秋口から晩冬にかけての旬の季節には、蕎麦店をはじめ鍋料理店、焼き鳥店など全国の飲食店から注文が入り、常に鮮度の良い状態で届けることにも心を砕いている。また、ネットで注文すれば個人でも購入することができる。

一方で、「江戸千住葱」の味を喜んでくださるお客様に、「江戸千住葱」の収穫がない時期にも美味しい葱を食べてもらいたいと思うようになった、という田中さん。

「それで、品種改良されて年間を通してご提供できるタイプの千住系根深葱も、契約農家さんと一緒に栽培したり、市場を通して取り扱いしたりするようにしました。こちらは「葱善千住葱」と名付けました。見た目や、火を通すと優しい甘みが増してくるのは、「江戸千住葱」とほぼ同じ。旨味は「江戸千住葱」に負けるとも劣らぬ豊かさです」

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「葱善」が誇る「江戸千住葱」、「葱善千住葱」を中心に、左に「江戸辛味大根」、右には新たに開発した「乾燥ねぎ」、「ねぎ塩」、「ねぎ味噌」



さらに、「江戸千住葱」の栽培を試行錯誤する過程で、江戸時代から続く辛味大根があるということを知った田中さん。長野県の篤農家と協力して理想の味の辛味大根を作り上げることに成功した。この「江戸辛味大根」も、10年以上の時間をかけた自信作だ。

「江戸時代の享保年間(1716-1736年)、浅草芝崎町のお寺の中に道光庵という庵があり、そこの主人が信州長野の出身でそば打ちの名人と言われていたそうです。彼はかつおだしの代わりに信州から持ち込んだ辛味大根をおろして蕎麦を振る舞い、これが大評判だったそうで。芝崎町という町名は今はありませんが、場所は私たち「葱善」のすぐ近くですし、 江戸の味ということで、これも何かのご縁じゃないかと思いました。長野で栽培されている農家さんを訪ねてその大根を食べてみたら、爽やかな辛味の中になんともいえない旨味も感じて。ぜひ作ってみたい! と思いまして。蕎麦やうどんの薬味はもちろん、焼き魚やお肉に合わせるとまたこれがイケるんですよ(笑)」水分と肥料を極限まで与えず、50〜60日間かけて丁寧に栽培される「江戸辛味大根」は、固定種と、一部は品質改良された種で栽培している。

江戸から続く伝統野菜の味を全国、そして世界へと発信
葱に続く江戸伝統野菜の自信作「江戸辛味大根」。ビジュアルは蕪のようだが、キリリとした粋な辛味は独特の旨味を備えて、後を引く美味しさ。



「葱善」では、江戸の人々が愛した野菜の伝統のおいしさをもっと多くの人に知ってもらいたいと、手軽に使える「ねぎ塩」や「ねぎ味噌」、「乾燥ねぎ」など加工品の開発にも着手している。

「加工品だとお料理のバリエーションも広がりますし、発送もしやすいので、海外の人にも江戸の葱の味を手軽に試してもらうきっかけになるのではないかと思っています」と話す、息子の康晃さん。世界も視野に入れて、「葱善」の今後の新たな展開がますます楽しみだ。

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新たな展開に向けて意気込みを語る4代目の田中庸浩さん。