岩崎家の節句人形
2022.03.24
LIFE明治のひな人形の色彩、令和に蘇る
「江戸東京リシンク展」の会場となる旧岩崎邸では、当時、岩崎家の人々によってひな人形を飾った節句のお祝いが催されていた。
しかし、邸宅が建てられた1896(明治29)年から120年以上の月日が流れ、残っているのは数枚のモノクロ写真のみ。
そこで今回、展覧会参加事業者の「江戸木目込人形 松崎人形」監修のもと、現代美術家の舘鼻則孝氏を中心としたデジタル彩色化プロジェクトチームが結成された。
東京都公園協会からお借りした写真資料を引き伸ばし、人形の着物の配色に造詣の深い松崎人形代表の松崎光正氏が、当時の色味を勘案しながら丁寧に手彩色資料を制作。
そのバトンを受け取ったプロジェクトチームが、手彩色の色味をデジタルデータに置き換えていく。
松崎人形の工房での打ち合わせでは、
「現在、関東圏では姫は向かって右側ですが、当時は左側が主流だったと聞いています。この写真もそのとおりになっていますね。十五人揃いが定着したのは大正末期で、それまではもっと自由に並べられていたそうです」
「五人囃子には家紋を入れているケースもありますが、ちょっとこの写真でははっきり確認できませんね」
「おそらく敷かれている毛氈(もうせん)には、赤系のはっきりした色を使っていたのではないでしょうか」
といった人形に対する考察だけでなく、
「昔の職人は人形問屋さんから資金をもらって夏場は遊んで暮らしていたと聞いています。町内に漆職人さん、摺師さんなど、さまざまな職人さんがいて、長屋の壁に穴があいていて、隣同士でものをやりとりしながら作業していたという話も伝わっています」
「祖父は小学校を出て修行したあと、18歳くらいで独立したそうです。創業当時は頭(かしら)は頭師が作っていましたが、大正12年生まれの父はものづくりが好きで、頭も自分で作るようになりました。江戸下谷(現台東区)生まれの高村光雲のお弟子さんに弟子入りしたこともあったそうです」
といった当時の職人事情にまで話に花が咲いた。
本展覧会ディレクターを務める舘鼻氏は、今回のプロジェクトの文化的価値を次のように説く。
「今回取り組んだデジタル彩色写真は、単に資料を復元するという視点だけではなく、本展における重要な展示作品として位置付けています。松崎光正氏の手掛けた魅力ある手彩色による資料と私たちが手掛けたデジタル彩色写真は、謂わば一対の作品として旧岩崎邸庭園の貴重な歴史を振り返る中で、令和に見直されるべき価値ある日本の伝統文化の新たなかたちだと実感しています」
折しも展覧会の準備が進められたのは、ひな祭りの季節。
人形の表情や衣装、並べ方に変化はあっても、桃の節句に込めた人々の願いは不変のものだろう。令和の時代に蘇った当時の色味を堪能しながら、過去の人々の暮らしに思いを馳せてはいかがだろうか。
手彩色資料
制作 株式会社松崎人形 幸一光
デジタル彩色写真
監修 株式会社松崎人形 幸一光
制作 株式会社ノリタカタテハナ
Photo by GION
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