特定の用途を持つ“花鋏”が、アートとして変貌を遂げた。鋏としての概念を覆すその姿は、まさに未来への挑戦のようだ

特定の用途を持つ“花鋏”が、アートとして変貌を遂げた。鋏としての概念を覆すその姿は、まさに未来への挑戦のようだ

江戸から伝わる“職商人”というスタイルで、お客様が納得のいく刃物を提供し続ける「うぶけや」。今展覧会では、“花を切る”という特定の用途を持ったうぶけやの“花鋏”が、現代美術家 舘鼻則孝によって、アートに昇華された。新たな視点で描かれた、創造性豊かなその姿を目の当たりにしたとき、私たちにはどのような価値観に気づくのか。

特定の用途を持つ“花鋏”が、アートとして変貌を遂げた。鋏としての概念を覆すその姿は、まさに未来への挑戦のようだ

“生と死の境界を表す雲を、花鋏が断ち切る”。そのストーリーをどう紐解くか

通常、鋏を美術品という視点から鑑賞する機会はなかなかないが、今回、舘鼻氏はどんな観点で作品を制作したのか。「生け花は、花の命を断ち切ってから生けることで新たな価値観を与えていると思うんです。“生と死”に対する捉え方は、見る角度やタイミングによって変わる。そう考えると、花鋏が持つ背景は非常に興味深いと感じました」。現実では直接的に交わることのない“雲と花鋏”が作品として成立している所以は、うぶけやの花鋏にしか紡ぐことのできないストーリーがあるからではないだろうか。雲が意味する“生と死の境界”とは、一体何を指しているのか。ぜひ、さまざまな視点から自分だけの答えを見つけ出してほしい。

特定の用途を持つ“花鋏”が、アートとして変貌を遂げた。鋏としての概念を覆すその姿は、まさに未来への挑戦のようだ

江戸の風景を感じさせる雲には「生と死の境界」という意味が込められている。その境界を“花鋏”が断ち切る姿に秘められたメッセージとはなにか。

過去からずっと使われてきたものが、本来持つ“用途”を放棄したとき、どのような価値観で見ることができるか

トレンドを意識したものや、簡便さを重視したものが次々と生み出される現代。便利な世の中になっていく一方で、使われなくなって、廃れてしまうものがある。次第に作り手がいなくなり、需要もなくなってしまう。しかし、用途のあるものだけが存在して残っていくことが果たして正しいことなのだろうか? どこかのタイミングで価値観が変わる瞬間がきっと来る、今作品にはそんなメッセージが込められているように感じた。「過ぎ去った過去を無理に現代に蘇らせようとは思っていません。しかし、違った側面からものごとを捉えることだけでも文化を継承することに繋がるかもしれない。新たな価値を見出すために、今という時代に対してアクションを起こす必要があるのではないかと考えます」。と舘鼻氏。職商人うぶけやにとって、今作品が次への良いアクションとなったのではないだろうか。新たなうぶけやの“姿”を目にすることで、人それぞれの価値観や見方があっていいのだと多くの人が気付くはずだ。そこには特定の用途を持つ工芸品にしか生み出せない背景があり、それが「用の美」として、新たなうぶけやの価値観を見出すきっかけにもなるのだろう。



江戸東京リシンク展|舘鼻則孝 × 刃物 うぶけや
https://edotokyorethink.metro.tokyo.lg.jp/collaborator_3.html

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