葱善が復活させた伝統の葱。江戸で生まれた白い葱の物語
2024.12.17
FOOD鍋料理が恋しい季節になりました。寄せ鍋やすき焼きなどさまざまな鍋料理に欠かせないのが、葱。特に、茎の白い部分が葉と同じくらい長い根深葱(ねぶかねぎ)は長葱や白葱とも呼ばれ、秋から冬にかけて旬を迎え、鍋料理の主役のひとつと言っていいほどの存在感を放ちます。実は、この根深葱は、江戸で生まれたと言われています。
もともと葱は、緑の葉の部分だけを食べる野菜でした。江戸時代、大阪の農家が江戸の町で葱の栽培を始めたものの、冬の寒さが厳しい江戸では葉が枯れてしまいました。仕方なく土に埋めて燃やしたところ、何やらいい香りが。その出どころは葱の白い部分。口にすると、生のときの辛味はなく、甘くておいしいではありませんか。それから、白い茎の部分をより長く育てるようになり、根深葱が誕生したのだそうです。
江東区の砂村から江戸の大市場・千住に伝わった根深葱は、千住葱と名が付き、江戸の人々に愛されました。老舗の葱専門問屋、葱善4代目の田中庸浩さんは「よほど白い葱がおいしかったんでしょうね。ただ、そこからどうやったら白い部分を長くできるかを考えて、伸びたところに土をかぶせたらいいんじゃないか、などの工夫をしていった人は、本当にすごいと思います。そのおかげで、今の白い葱があるわけですから」と先人の努力に敬意を示します。
田中さんにとって千住葱は、幼い頃から親しんできた「おふくろの味」そのものだと言います。しかし、伝統野菜の宿命として病気に弱く、虫にも弱く、夏の暑さにも弱いうえに、育つ葱の大きさはバラバラ……と大量生産に向かないため、昔ながらの葱は一時市場から姿を消してしまっていました。
あるとき、「昔の葱はおいしかったよね」という年輩の方の話を聞いた田中さんは、自身もずっと食べてきた葱の味を思い出し、それを取り戻そうと決意。栽培農家の協力のもと10年以上にわたる試行錯誤を繰り返し、伝統的な栽培方法による葱を復活させたのです。葱善では、品種改良されたものと区別するため、この葱を「江戸千住葱」と名付けています。
「江戸千住葱」の魅力について田中さんは「ただ、おいしい。それ以上でも、それ以下でもないんです」と話します。思わず声が出るほどの強い辛味は、葱本来の味を残す伝統野菜ならではの醍醐味と言えるでしょう。においも強く、しっかりとした食感も特徴。他ではあまり見かけないほど大きく太い点も目を引きます。
ただ、この「江戸千住葱」は冬にしかないため、一年を通して高品質な千住葱を安定的に提供するべく、葱善では140年続く老舗ならではのネットワークを駆使し、プロの目利きによって上質な葱を選び抜いています。それらの葱に「葱善千住葱」と自社の名を冠しているところに、味と品質に徹底的にこだわってきた誇りを見ることができます。
千住葱をはじめとする白い葱の大きな特徴は、江戸の人も驚いたように、熱を加えると味が変わること。トロリと柔らかくなると同時に、あの辛味はどこかへ消えて、独特のやさしい甘味が出てきます。それゆえ薬味の座に留まらず、そのまま焼いて塩を付けて食べたり、あるいは天ぷらにしたりと、料理の主役にもなるのです。さらには、葉の部分も当然食べることができるため、1本でさまざまな使い方ができます。
田中さんは「焼くのがいちばんかな」としつつ、生のまま小口切りにしてかつお節としょうゆで混ぜたものをごはんにかけてもおいしい、とおすすめします。こだわっているのは、葱の味噌汁。刻んだ葱を先にお椀にたっぷりと盛って、その上から味噌汁をかけるのだそうです。こうすることで葱がほんのりと煮えて香りが立ち、うまみを存分に堪能することができるのだとか。
父とともに葱に情熱を捧げる康晃さんは、「白い葱は、江戸の食文化が育てた葱」と言います。江戸前のそばには白い葱が欠かせないように、そこには、江戸の歴史と文化がつまっているのです。この冬、康晃さんイチオシの葱鮪鍋をつつきながら、白い葱に魅了された江戸の人々に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。