日本のさまざまな文化に寄り添う刃物という存在を、ずっと見つめていきたい。

日本のさまざまな文化に寄り添う刃物という存在を、ずっと見つめていきたい。

〜 人と向き合っていく仕事 〜時代の変化にも対応しながら 「職商人」という立場を大切にする

創業天明3年(1783年)、うぶけやの八代当主である矢﨑豊さんに、まず、他店で作られた刃物も研ぐという仕事の姿勢から伺った。「ウチでは代々そうしてきましたからね。もちろん商売や口コミを考えた上での戦略的な要素もあります。でも根本は、道具をきちんと使っていただきたいから、他所のものでも分け隔てなく請け負います。私たちは研ぎの業によって仕上げた品物を販売する『職商人(しょくしょうにん)』という立場を大切にしながら今でも継続しているんです」

来店していただくことは、とても重要だと矢﨑さんは語る。「今はネットの時代ですが、やはりお店に来て、見て、触れて、買っていただくことが理想ですよね。ただ、息子の言葉でハッとしたこともあるんです。『電話での注文もあるわけだし、ネットだとさらに詳細な情報が載せられるんだよ』と言われて、確かにそうだと思いました。ですから、新たな価値観を取り入れるのも大切でしょうね」

しかし、何よりも刃物づくりにおいて大切なのは、その良し悪しを実感できるかどうかだ。だから包丁の研ぎ具合などは、実際に髪に当てて確かめているという。包丁による切れ方の形容も、実感を伴って分かりやすい。「刃先を断面で見ると平面的ではなく、蛤の貝のようなふくらみを持たせて研いでいるんです。そうすると、刃先がスッと入った後で、ふくらみのあるところで切り分けられる、それが使い勝手がいい。そうしたことは代々の歴史の積み重ねが大きいですね」

日本のさまざまな文化に寄り添う刃物という存在を、ずっと見つめていきたい。

「江戸時代泰平の世の中が続き、食文化が発展していくにつれ、1700年後半から包丁も野草用(菜切包丁)、魚用(出刃包丁)、刺身用(柳葉包丁、タコ引き)と徐々に細分化されていったんです。また、お花、お茶、お裁縫と『お稽古事』も盛んになり、それに付随する刃物の需要が大変増えました。それに伴い腕の良い武器職人たちが挙って家庭用の刃物の職人に転身していきました。こうしたことから刃物を造る職人が増えた一方で、私たちのように加工し販売する『職商人』という形態が出来たのです。」
 
大阪に本店を構えていたうぶけやは、やがて世界でいちばん刃物が消費されたと言われた江戸に店を構えた。そして歴史ある上方の文化が江戸に持ち込まれてますます花開き、その豊かな文化が庶民にも浸透していった。そんな当時からの暖簾が、今にしっかりと受け継がれている。

日本のさまざまな文化に寄り添う刃物という存在を、ずっと見つめていきたい。