商人であり職人として、 “納得のいく刃物”を提供する。職商人「うぶけや」の刃物への思い、そして一番大事にしている人との繋がりとは。

商人であり職人として、 “納得のいく刃物”を提供する。職商人「うぶけや」の刃物への思い、そして一番大事にしている人との繋がりとは。

「うぶけや」は、1783年創業以来、各種刃物の製造販売を専業としている刃物屋である。屋号の「うぶけや」とは初代の㐂之助(きのすけ)が打った刃物が「うぶ毛でも剃れる(包丁・かみそり)切れる(鋏)抜ける(毛抜き)」と、お客さまから評判が立ったため名付けられた。現代でも「うぶけや」のファンは多いが、変わらぬ評判を受け続ける魅力とは一体なんなのだろうか。

手仕事と安心は表裏一体。その先には職商人ならではの人との付き合い方があった

大量生産大量消費で、安いものを使い捨てすることに慣れてしまった私たち。しかし「うぶけや」の刃物は愛着を持って使い続けてくれる人がたくさんいる。その魅力とは何なのかを聞いた。「うぶけやの刃物は人の手できちんと検品し、使い手に合うよう調整してお渡しします。細かなオーダーや、もちろん修理も対応しているので、それが長く使っていただける理由でもあると思います。また、これは刃物屋としては珍しいのですが、他の所で購入されたものの修理も請け負います。それがきっかけで、新しいものを購入していただいたり、ご紹介など人との繋がりが増えています。手作りのものだけが良いとは限らないし、使う人にとって使い勝手が良ければそれで良いと思っていますが、職商人の良さは“お客様との繋がり”に尽きますね」。

商人であり職人として、 “納得のいく刃物”を提供する。職商人「うぶけや」の刃物への思い、そして一番大事にしている人との繋がりとは。

江戸時代から継承する貴重な裁ちばさみの数々。ものづくりにこだわる職人の魂が宿る。

商人であり職人として、 “納得のいく刃物”を提供する。職商人「うぶけや」の刃物への思い、そして一番大事にしている人との繋がりとは。

「江戸東京リシンク」展に向けた打ち合わせの一コマ。素材へのリスペクトは主人も舘鼻氏も同じ。

刃物屋はもともと職商人というスタイルが当たり前だったのだが、第二次世界大戦以降、品物を置いておけば売れるような時代になり、職人と商人が切り離されるようになった。それでも「うぶけや」では“店をしっかりと構え、腕の良い職人に刃物を作らせ、包丁道具類などは自身で刃をつけ、納得のいくものを販売する”という信念を曲げず貫いてきた。このようなスタイルが、「うぶけや」の魅力として人々に伝わり、現代まで愛され続ける理由になったのだろう。本展では、当時の職人気質を感じられるような洒落っ気たっぷりの刃物類や、人と人の絆が垣間見える道具類などが多く展示される。それを目の当たりにすれば、きっと「うぶけや」の刃物の魅力に気づき、お店に足を運びたくなることうけあいだ。

商人であり職人として、 “納得のいく刃物”を提供する。職商人「うぶけや」の刃物への思い、そして一番大事にしている人との繋がりとは。

店頭から一歩入るとすぐそこには工房が。お客様一人ひとりの要望に応えるよう、丁寧に研いでいく。

「うぶけや」の刃物は祖母から孫の代まで愛され、受け継がれる

ひとつの道具をしっかりとメンテナンスし、物を大切に使うという日本らしい文化。最近では、そんなふうに考える人も多くなってきたように思う。うぶけやの店主はこう語る。「道具というものは何年も使いますよね。特に包丁の場合は朝から晩まで使うので、切れなくなったら研いで使う。研いで刃の幅が狭くなったら、丈をつめて、用途の違う皮むき用にもできるんですよ。そうすることで5年、10年と寿命が伸びる。使う頻度が少ない裁ちバサミなんかは、おばあちゃんの代から孫の代まで受け継がれ、世代をまたいで研ぎにきてくれたりします。3代、4代と顔を出してくれると、とても感銘深いものがありますね」。生産者と顔を合わせる機会など滅多になくなった時代、「うぶけや」のように職人と直接顔を合わせ、世間話をしながら相談することが、商品に対する温かみを生むきっかけになる。だから「うぶけや」の刃物には、“職人との繋がり”や、“思い”が感じられるのである。今後も職商人として、日本の素晴らしい刃物を販売し続ける「うぶけや」に目が離せない。

Photo by Satomi Yamauchi