都立庭園売店で江戸東京きらりプロジェクト商品を販売します都立庭園売店で江戸東京きらりプロジェクト商品を販売します

都立庭園売店で江戸東京きらりプロジェクト商品を販売します

 江戸東京きらりプロジェクトでは、3月11日~15日の「江戸東京リシンク展」開催にあわせ、都立庭園等が造られた、江戸・明治の時代の背景・文化の理解に役立つように、小石川後楽園 葵屋など、都立庭園売店等で商品を販売し、ご紹介します。
江戸大名庭園の、小石川後楽園、浜離宮恩賜庭園、六義園。明治6年日本で初めての公園の一つとして開園した上野恩賜公園。明治29年に建築された洋館等からなる旧岩崎邸庭園。この春は、江戸・明治の時代から、受け継がれてきた数々に思いを寄せて、庭園・公園散策してはいかがでしょうか。売店にもぜひお立ち寄りください。

「江戸」からの味わいを皆様へ。
「江戸東京きらりプロジェクト」は、江戸から続く「東京の宝物」に光を当て、国内外のかたがたに発信している取組です。「東京の宝物」は時代とともに-Old Meets New- 進化を遂げていますが、その品を手に取り、味わうことで、町人の暮らし・文化が花開いた「江戸」のまちや、そこから多くの人によって受け継がれて今があることを、想像してみてはいかがでしょうか。
江戸時代(1603~1868年)、江戸という都市には、小石川後楽園などの大名屋敷・武家地とともに、活気ある町人地があったのです。江戸の魅力は、きっと皆様の世界を広げ、日々の暮らしや気持ちに新たな彩りを加えます。

【販売期間】
 令和5年3月11日~4月末(予定)

【販売場所】
①小石川後楽園 葵屋
②旧岩崎邸庭園 売店
③浜離宮恩賜庭園 濱見世
④六義園 吹上茶屋
⑤上野恩賜公園 パークス上野店

【販売事業者】
  榮太樓總本鋪
  豊島屋本店
  葱善

■江戸菓子  -榮太樓總本鋪/あめやえいたろう-
古来、日本では、米を主原料に、麦もやしなどを用いて糖化させた、水あめが食されていました。織田信長が天下人の時代になると、ポルトガル人宣教師によって、砂糖に、少しの水あめを加えて作る「有平糖(あるへいとう)」がもたらされました。当時、砂糖は、大陸貿易によってもたらされる貴重品でしたが、江戸時代になると、日本でも砂糖の生産が始まりました。第8代将軍徳川吉宗の頃には、国内生産が盛んになり、有平糖菓子職人が高い待遇を受けるまでになったのです。
1818(文政元)年に細田徳兵衛が創業した「井筒屋」から始まった、榮太樓總本鋪では、江戸時代、有平糖をもっと沢山の人々にと工夫を凝らしました。安政年間(1854~1860年)には、「鋏で切った紅色の飴を口内を傷つけないよう指でつまんで三角形に」した飴が人気になり、その姿かたちが梅干しに似ていることから、洒落好きな江戸っ子たちに「梅ぼ志飴」と名付けられたのです。現在では、あめ専門ブランド「あめやえいたろう」にて有平糖をベースに、産地や品質にこだわった果物の果汁を加えたみつ状のあめ「スイートリップ」も製造・販売しています。

都立庭園売店で江戸東京きらりプロジェクト商品を販売します
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■日本酒 ―豊島屋本店-
江戸時代、江戸は、日本酒の一大消費地として、伊丹や灘などの生産地から酒が船で運ばれ、「下り酒」として多くの人が味わいました。江戸時代後期の文化文政年間(1804~1830年)には、「下り酒」は年間180万樽に達し、1人あたり4斗(72L)樽を1年に1本以上も消費していたと言われています。
1596(慶長元)年に豊島屋十右衛門が神田鎌倉河岸で創業した豊島屋本店は、江戸時代、日本酒を販売し、販路を拡大し幕府御用達になっただけでなく、居酒屋としてもにぎわいました。明治に入ると醸造も始め、昭和期には東村山で清酒「金婚」を醸造するようになりました。「金婚」は、明治神宮、神田明神の唯一の御神酒です。1923(大正12)年の関東大震災での店倒壊により、途絶えていた居酒屋も、2020(令和2)年に創業地に近い神田錦町にて「豊島屋酒店」として再興し、江戸の粋な食文化を伝えています。
豊島屋本店では、都内八王子産の米「キヌヒカリ」と、「江戸酵母」を使った全て「東京」にこだわる「純米吟醸 江戸酒王子」も製造・販売しています。

都立庭園売店で江戸東京きらりプロジェクト商品を販売します
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■江戸千住葱を使った商品 -葱善-
江戸時代は農業技術が発達し、様々な農作物が生産・流通するようになりました。野菜は、「青物」と呼ばれましたが、江戸には、参勤交代で地方から様々な野菜種が持ちこまれ、大名や武士階級の敷地内の菜園で栽培されていました。また、野菜の行商売りや、「青物屋」と呼ばれる店での販売もみられ、駒込、神田、千住などには青物市場もありました。
1885(明治18)年 葱善 初代田中善太郎は農家より転身し浅草の地で創業しました。今なお、独自開拓した葱農家や自社農場で、江戸時代から受け継がれてきた「固定種」による生産を行い「江戸千住葱」を販売しています。時代とともに品種改良が進み、育てやすく管理しやすいF1種での栽培が主流となりましたが、葱善では、難しい「固定種」の栽培を農家とともに試行錯誤を繰り返し、10年以上の歳月をかけて栽培方法を復活させ、生産を行っています。江戸千住葱はネギ本来の辛味、旨味が詰まっています。生で食べれば蕎麦の薬味に最高なアクセントとなるツーーン!とした辛さのネギであり、熱を加えた焼きネギや鍋になるとその辛さがフルーツに迫るほどの甘さをもったトロットロのネギに代わります。江戸時代の人々が食していた江戸千住葱は池波正太郎をはじめ多くの文化人にも愛されてきました。現在では江戸千住葱を使った「ねぎ味噌」「ねぎ塩」「乾燥ねぎ」も販売しています。

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